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【むかしむかしのお話】

とんと昔のお話です。

二口峠(ふたくちとうげ)を越えて出羽の国に入った慈覚大師は、景勝の地「山寺」に立石寺を建立することになりました。そこで活力の源、銘酒はないものかと探せば、三里ほど下ったところに酒蔵があるではありませんか。訪ねていくと、酒蔵の主人は「山寺を仰ぐ山の裾から湧き出るこの清水で酒を造ったら、いや〜あ、とろけてしまうほど美味い酒ができただよ」との返事。慈覚大師は多いにうなづき「おぉ美味なり!この清酒、山形一の正宗(せいしゅ)なり」と、盃を重ねてたいそう気に入ったとさ。

こんな物語のある当蔵ですが、以下は史実に基づく歴史物語です。

【第一回 弥作の時代 前期編】

棋のまち」として有名な、山形県天童市にある水戸部酒造は、明治31年の創業。初代は「水戸部弥作(やさく)」で、立派なヒゲ(なんというヒゲなのでしょうか?ご存知の方はご連絡ください。こちらまで)をたくわえた、かなりモダンな御仁だったようです。

酒造業 を営むようになったのは、弥作が日清戦争に従軍していた際ときにたまたま知り合った杜氏に勧められたのがきっかけでした。戦争から復員した弥作は、早速酒造業を始めたものの、その年は失敗。戦争中に知り合った杜氏を呼んで、翌年から本格的に稼動を始めました。その杜氏のおかげで、徐々に「名刀の切れ味 山形正宗」の評判は上がっていったようです。

ところで当時は、現在のように保険制度が発達しておらず、酒造りに失敗したときの保険のようなものはありませんでした。そこで、弥作は腐造時の担保として埼玉県の川口市安行から庭木を大量に仕入れ、畑に仮植しました。幸いにも、その後は腐造させることもなく順調に酒造りが行われましたので、公共のためにその桜苗木を供出しました。現在、山形の風物詩である「いもに会」の開かれる馬見ヶ埼川沿いにある桜並木は、当蔵の苗木を分けたものです。

創業者/水戸部弥作

このヒゲスタイルは現在、アメリカのバンド「ZZトップ」のギボンズ兄弟に忠実に継承されています。



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