
この建築物は、現在「山形正宗 純米乃酒」のラベルになっています。
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酒造業を成功させた弥作は、さっそく他の事業にも進出します。大正14年には、現在の天童駅前に醤油の醸造工場を建設しました。この建築物は、当時としてはめずらしいコンクリートや大理石を用いた洋風三階建てのもので、市内でははじめての洋風建築物として斬新なものでした。また、昭和初期の不況時には、雇用救済策として「御苦楽園(ごくらくえん)」といわれる日本庭園を建設したのです。ちなみに、この「御苦楽園」は現在でも地元の観光地として多くの方々に訪ねられています。
弥作の時代の後期には、樺太への投資も積極的に行っていたようです。これは残念ながら実を結ぶことはなかったようですが、起業家としての才能をいかんなく発揮した弥作は、昭和6年(1931年)、御苦楽園にて隠居生活に入りました。二代目「光男(みつお)」時代の始まりです。
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