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【第二回 弥作の時代 後期編】

創業者/水戸部 弥作

前回までのあらすじ

日清戦争に従軍していた水戸部弥作は、戦地で知り合ったある杜氏の勧めで清酒製造を始めました。紆余曲折はあったものの、順調に事業を拡大していた弥作でした。
前回分(【弥作の時代 前期編】)を見る>>



この建築物は、現在「山形正宗 純米乃酒」のラベルになっています。

造業を成功させた弥作は、さっそく他の事業にも進出します。大正14年には、現在の天童駅前に醤油の醸造工場を建設しました。この建築物は、当時としてはめずらしいコンクリートや大理石を用いた洋風三階建てのもので、市内でははじめての洋風建築物として斬新なものでした。また、昭和初期の不況時には、雇用救済策として「御苦楽園(ごくらくえん)」といわれる日本庭園を建設したのです。ちなみに、この「御苦楽園」は現在でも地元の観光地として多くの方々に訪ねられています。

作の時代の後期には、樺太への投資も積極的に行っていたようです。これは残念ながら実を結ぶことはなかったようですが、起業家としての才能をいかんなく発揮した弥作は、昭和6年(1931年)、御苦楽園にて隠居生活に入りました。二代目「光男(みつお)」時代の始まりです。


ところで、当時の配達は自転車が利用されていました(写真参照)。自転車の後方にリヤカーを付け、それに酒を積んで運んでいたようです。当時は「酒」といえばほとんど日本酒しかない時代でしたので、配達量もかなりのものでした。当時の営業マンのご苦労が偲ばれます。

その後、昭和23年(1948年)頃にはオート三輪、昭和32年(1957年)頃には四輪トラックが導入され、より広い範囲への配達が可能になっていきます。




小さく「水戸部酒造場」の文字が見えますね。



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